ひとりになりたい

IT企業社員。はやくやめて寺かどっかでバイトしてお守り売りたい。

「嫌なら見るな」は真理のはずなのになぜできないのか?(木村花さんの死について)

テラスハウスに出演していた、女子プロレスラーの木村花さんが先日死去された。

所属事務所からの公式な発表はされていないが、彼女が更新した死の直前の

インスタグラムの内容から見て、おそらく自殺だろうとネット上で話題になった。

 

テラスハウスを毎週(最近は飛ばしながらしか見ていないが)見ていた私としては、

彼女の死は実感がわかないものの、本当にこれは大事件だと、ショックだと、思った。

 

彼女と全く関係がない私ですらそうなのだから、

彼女の家族や友人がどれだけつらいか、後悔しているか、

そんなことは想像もできない。

 

 

彼女が死を選ぶほどに追い詰められてしまった理由は、

番組出演時の彼女の態度に対する、「SNSのアンチコメント」であるとされている。

 

アンチコメントって、いったい何のための何なんだろう

 「ファンだったけど嫌いになりました、もう応援しません」

 「消えろブス」

 「あんなことするなんて人間として最低だと思う。性格が悪い」

↑みたいなやつのことだと思うけど、マジでこれ、何の目的?

 

考えられるのは以下。

・純粋なファンで、見たくない姿をみてしまったから、

 「もっとこうあってほしかった」という希望、あわよくば変えたい、という

 欲望の押し付け。

・叩ける相手を発見した!ラッキーという感覚で日ごろの憂さ晴らしをするため。

・純粋にアドバイスしてる、つもり。

 

これだけど、本当にリアルで接したときに、これできないですよね?

もし現実で、「うわあ、、この人めっちゃ嫌いだなあ」って思うことがあったとき、

その人のことをそこまで知らないのに、「あの!嫌いです!消えてください」って

いえる人がどんだけいんですかね?

 

そういう時、リアルの世界だと、「そいつから離れる」が正解だと思うんです。

なのに、TVショーとかネットの世界だと、逆に近づいてしまう。

もう番組見ない。ツイッターはフォロー外す。とかすればいいのに。なんで?

 

私が思ったのは、みんな、何かしらの文句の排出先を求めてるからだと思う。

安全なところから、文句を言うという娯楽を求めている。

リアルの世界で、「嫌いです!消えてください」っていうと、消えてくれるどころか

余計問題がややこしくなって、もしかしたら殴られたりなんか事件勃発するかも

しれない。

 

SNSは、遠隔操作で相手にケリを入れれるわけですから、そりゃめっちゃ楽だし

反撃もされないし、超楽な攻撃ですわな。

ただし、そこに明確な目的や意図などない。ただ、発散したい。ストレスを。

 

これがめちゃくちゃ怖い。

自分が文句を言うことが目的で、あえて嫌だとわかってて見に行く。

もっと怖いのが、自覚していないにしても、そういった「需要」が一定あることを

狙って、番組を構成している人がいる、という可能性があること。

 

この狂った、歪みまくったコンテンツの楽しみ方は、今の主流になっている

可能性がある。「こいつヤバイwww」って人を探して、みんなで笑う。

笑われている本人は本当に笑っているのか?

 

SNSがここまで社会に浸透した今、あまりにも簡単に悪口が聞ける、言えるように

なってしまったが、今さらSNSをどうこうしようなんてことは不可能だ。

アンチ、ヘイトを言えば犯罪になる、という規制にしても、正直限界があると思う。

人間欲望があれば、そのためにはなんだってするのだ。

SNSで規制されるなら別の方法でやるだろう。

いじめだって、法律で禁止されても、なんとかばれない方法でやるだろう。

どこまでだったらいいのかな?とか逆に楽しみを見出す者もあるかもしれない。

 

現代社会は病んでいる。

メディアは現代社会の鏡だ、という。だとすれば、メディアもきっと、

腐りきっているのだろう。メディアを作る人たちだって、この現代社会の一員だから。

 

かくいう私も、コンテンツを楽しく消費していたうちの一人だ。

自分の持つ残酷性を全く自覚していなかった、そんなことに気づかされた。

 

木村花さんは、私たちにそんなことを気づかせるために死を選んだのでは

決してない。なくしてしまってから、気づくなんてそんな愚かなことがこの世には

あふれかえっている。

人が一人死なないと、そんなことも気づけない、自分の未熟さに呆れかえる。

 

これからどう生きていこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私のような特にこれと言って才能のない人間にとっては、STAY HOME中はインプット量が過剰になってしまう件について

基本的にひとりになりたいスタンスだった私は、

去年の夏から一人暮らしをしている。

ついに本当の物理的な「ひとり」を手に入れた。こんなにうれしいことはない。

 

そのまま今年の春を迎え、もうすぐGWというころ、

最近のCOVID-19騒動で、外出を自粛するよう呼びかけがあり、

みんな外に出ない生活を「強いられている」みたいな状況になった。

私自身は基本的に外出する用事は以下くらい

①買い物(食べ物の調達)

②人に呼ばれたとき

③神社いく

だったので、①はまあ必須として②③は完全に消失。

そしたらもう本当に一歩も家から出ない。もうごみ捨てくらい。

あとタバコ吸うためにベランダに出るくらい。やばい。

ベランダ=外出はやばい。

 

となると、家事以外で家でやることはもう決まってくる。

インターネッツ。読書。Amazon Prime Video。Netflix。これだけ

ずっと何かを見ている。何かを読んでいる。そんな感じになる。

映画とか見ることでためになっているのか?でも次の日には何を見たか思い出せなかったりする恐怖。じゃああの時間はなんだったんだ、、、、?

 

ステイホーム期間中に見たコンテンツをここに挙げてみよう

進撃の巨人25巻~31巻

・愛の不時着1~16話(韓国ドラマ)

・シークレットガーデン1~20話(韓国ドラマ)

・個人の趣向1~16話(韓国ドラマ)

・よくおごってくれる綺麗なお姉さん1~6話(韓国ドラマ)

・青い海の伝説1~20話(韓国ドラマ)

・ハーフオブイット(ネトフリ映画)

・ある春の夜に1~16話(韓国ドラマ)

恋愛論スタンダール著)

・世界情勢ダイジェスト番組1~8話

アナと雪の女王(映画)

・JOKER(映画)

・交渉(映画)

コンテイジョン(映画)

テラスハウス(ネトフリドキュメンタリー)

・・・・・

もっとある、たぶん。覚えてるだけでこんだけだ。

やばくね?脳のキャパいけてる?

これが全部私の記憶に格納されたと思うと心配になるし、

逆にこんだけのコンテンツを膨大な時間をかけて自分の中に入れたのに、

自分の脳のキャパを守るためにほとんど忘れてたりしたら泣く。

 

もちろん、これらを見たり読んだりして、その時にいろいろ考えたり、

その後の私の考え方に影響を及ぼしてたりする可能性はある。

そうだとしよう。だから、無駄だとは言わない。

 

ただ、なんか怖い。

 

こんだけの量の情報を入れて、どこかに排出しないと、私はなんの栄養も取らないまま

いつか急に気分悪くなってオエーーーーーッッッってわけわからんタイミングで

最悪の手段で放出したりしてしまいそうで、こわい。

 

だから、ちょっとずつ、日々のインプットをここに出していきたい。

 

私がブログを始めたりゆうである。

長くなったな。